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苦難からの復活

※画像は、シュウさんから頂きました。
 無断転載を禁止します。




「君の足は治ったんだよ。だから、もう歩けるはずなんだよ、とお医者さんは言いました」
 私の横で(ゆう)は絵本に夢中になっている。
「だけど、ネコは歩こうとはしませんでした。本当に治ったのかすごい不安だったからです」
 もう、悠ったら顔が本当、真剣そのもの。
「がんばれ、がんばれ! と、どこからか、そんな声が聞こえました。そして、その声はだんだんと大きくなっ
ていきました。」
 私がめくろうとすると、なぜか次のページが目に入ってくる。
 どうやら、悠が次のページをめくってたみたい。
 悠は振り返って、私の顔を見上げていた。
 早く続きを読んでとせかしているのがわかる。
 もう、悠ったら……
「ネコが周りを見ると、どこからか見慣れた顔が集まっていました。みんな、一生懸命声を上げて、ネコを励ま
しにやってきてくれたのです」
 悠はまた、ページをめくってくれた。
 そんな、悠の仕草はかわいいと素直に思えてしまう。
「こんなに集まって励ましているのは、早く元気になってほしいからなんだよ。だから、がんばって歩いて、と
お医者さんは言いました」
 悠はまた、ページをめくってくれた。
「みんなの声に励まされたネコは、こわがりながらも足を一歩ずつ前に出しました。ネコは自分の足が痛まない
のを知ると、笑顔になり、また一歩、少しずつですが前へと歩き始めました。その様子を見て、周囲のみんなは
喜んでいました。こうして、ネコは自分の勇気を知ったのです。おしまい」
 さて、読み終わったけど、悠はなんて言うかな。
「ママ〜、ママがつくってくれたえほん、すごくおもしろかったよ〜」
 のんびりとした悠の声を聞いて、私も安堵の表情を浮かべる。
「ありがとう、悠」
 よかった、これで出版しても大丈夫そう。
 さっきまで、悠に読み聞かせていたのは、私が書いた絵本で、来月出版予定。
 タイトルは、「ボクの勇気」
 両足をケガしたネコが、励まされることで自分の勇気を持つというストーリー。
 出版社の人が、子供の意見を聞いてみたらということで、悠に読み聞かせてみたけど、悪くないみたい。
 絵本を本棚に戻すと、私は彼方(かなた)の姿を探した。
 彼方は、パパ――孝之(たかゆき)くん――といっしょにトランプのババぬきで遊んでいる。
 二人でババヌキなんかやって、おもしろいのかな。
 そして、悠も、二人のところまで行って、彼方のトランプをのぞきこんでいる。
「かなたちゃん、やっちゃったね」
 ふと、悠の声が聞こえた。
 彼方のほうを見ると、ひどく驚いた表情をしている。
 彼方ったらババをひいたんだ。
 すごく、わかりやすい。
「ゆう、うるさいぞ。おまえのせいで、ババに持っているのがばれちゃっただろ」
「ひどいよ、かなたちゃん。そんなこと言わなくても……それに……ぇぐ……ふたりだけでやってるなら……パ
パが持ってないことくらい……ぇぐ……」
 あっ、また彼方、悠を泣かせてる。
 私は、彼方を叱りつけようとした。
「あ〜あ、彼方ダメだろ、悠を泣かせちゃ。ほら、ちゃんとごめんなさいって、悠に謝って」
 パパの言葉を聞いて、私は言いかけたことをあわてて口の中に押し込んだ。
 彼方のほうはパパの言葉にしゅんとなっていた。
「ゆう、ごめんなさい!」
 彼方がごめんって謝ったことで、悠は泣きやんでいた。
「それじゃ、悠も来たことだし、今のはなしにしてもう一回やろう。彼方、持ってるトランプ、ちょうだい」
 パパは、彼方からトランプを受け取るとトランプを切り始めた。
 私も混ぜてもらおうかな。
 そのとき、テレビのほうから、茜という声が聞こえてきた。
 茜? オリンピックとか大会は終わったはずだし……なんで茜が……?
 芸能人で茜と同じ名前の人が出てるのかな。
 テレビでやってるのは、ワイドショーだし。
 軽い気持ちでテレビの画面を見た。
 だが、画面を見て、そんな気分は吹き飛んでしまった。
 いや、画面を見たまま凍りついたというほうが正しいと思う。
 そこに、書いてあった内容……
 茜が車で移動中に、対向車と正面衝突を起こし、重体……
「あ、茜!」
 私は、大声を上げていた。
「どうしたんだ、ママ」
 パパが不思議な口調で聞いている。
「あ、あ、あか、あか、茜が……」
 私は声を震わせながら、テレビの画面を指差した。
「茜ちゃん!」
 パパも私と同じく大声を上げていた。
「とにかく、どこの病院に運ばれたか電話……それとお義父さんたちにも連絡……」
 私は、パパが言うより早く、電話機がある方向に向かって走り出していた。
「パパ、ママ、どーしたの?」
「どーしたの?」
 彼方と悠の声が聞こえてきたが、私は今はそれどころじゃなかった。
 そして、電話機の受話器を取り、茜の所属している競泳団体の電話番号を登録した短縮ボタンを押した。
 茜……茜……無事でいて……
 私は何度も何度も祈りながら、受話器から聞こえる低いコール音を聞いていた。
 すぐそばでは、パパが無言で私の様子を静かに見守っていた。


 あれから、茜が運び込まれた病院を聞いた。
 幸いにも病院は、ここから車で一時間程で着く場所にあった。
 お父さんにも電話をかけてみたけど、誰も出なかった。
 先に、病院に行ったのかな。
 だったら、私たちにも電話で知らせてくれればいいのに……
 そして、私は急いでタクシーに乗り込んだ。
 病院へ行ったのは、私一人だけ。
 パパは、子供達がいるのでお留守番。
 病院に着くと、周辺では多くのマスコミが集まっていた。
 でも、私はその波をかき分け、病院の中に入った。
 茜の姉だと伝えると、病院側は、すぐに私を案内してくれた。
 そこは、手術室の側にある待合室。
 お父さんと、お母さんがそこに座っているのを見かけた。
 やっぱり私より、先に着いていたんだ……
「遙」
 お母さんが、静かに話しかけてきた。
「お母さん……」
 私は、なぜか目に湿ったものを感じていた。
 泣かずにはいられなかった。
 私は、二人のところに走って、お母さんの胸の中で泣き始めた。
 お母さんは、黙って私を受け入れてくれた。
 お父さんも何も言わなかった。
 たぶん私たちを静かに見守っていたんだと思う。


 思い切り泣いて、なんとか落ち着きを取り戻した。
 辺りは薄暗かった。
 外は真っ昼間であんなに明るいのに。
 頭上に見える手術中の赤い光が、わずかに明るさを提供しているように思えた。
 そして、不気味なくらい私たちの周りは、静けさが辺りを支配していた。
 外では、マスコミが騒いでうるさいというのに。
 私たちは、何も語らずにその場所に座り続けていた。
 待っている間、私は茜と過ごしたいろんなことを考えていた。
 物心ついたときから、茜といつも一緒にいたこと……
 水泳の大会に応援しに行ったこと……
 私が事故に遭ったとき、いつも側にいてくれたこと……
 オリンピックに出場していた茜を応援するため、アテネまで行ったこと……
 結婚式で祝ってくれたこと……
 妊娠したときに、励ましてくれたこと……
 彼方と悠を産んで、喜んでいたこと……
 彼方が、茜をおばさん呼ばわりして、私が叱ったこと……
 茜……茜……
 目を閉じると、茜の笑顔が思い浮かんでは消えていく。
 でも、脳裏で消えていく姿を見ていると、茜が二度と戻ってこないような気がして、涙が滲み出てきた。
 バッグからハンカチを取り出して、涙を拭いた。
 その行為が、私を現実の薄暗い世界に引き戻していた。
 どれくらい時間が経ったんだろう……
 腕時計を見てみると、病院に着いて、だいたい二時間……
 パパに連絡したほうがいいかな……
 私は、席を立ち上がった。
「家で待ってる孝之くんに、電話してくる」
 隣に座っている二人に、私はそう告げると、公衆電話のほうに向かって歩き出した。


 今までの状況をパパに連絡し、今日は病院に泊まることを伝えた。
 最初は驚いていたけど、パパは静かに頷いていた。
 そして、最後に無理はするなよ、と付け加えてくれた。
 もちろん、無理はしないつもりでいる。
 お父さんから、「帰りなさい」と言われたら、帰ることにしていた。
 そんなことを考えながら、待合室に戻った。
 窓のほうから外を見てみると、マスコミが何人かいるのがわかる。
 私たちの今の気持ちも知らず、ただ情報を待ち続けている姿を見ていると、少し腹立たしく思えてきた。
 出来るだけ、私は外は見ずに歩き続けた。
 戻ってくると、待合室にはお父さんたちに加えて、何人かが座っていた。
 誰だろう……
 私を見ると、全員立ち上がって会釈をしたので、私は緊張しながらも同じ行為をした。
「はじめまして、私、フォレックス競泳団体代表の岩井(いわい)と申します。急いで駆けつけたかったのですが、警察や
マスコミの応対で遅れてしまって、申し訳ありませんでした」
 一番年配の男性が私に向かって、深々と頭を下げていた。
「それで、茜に……妹に何があったのか詳しく教えてもらえませんでしょうか」
 私は、強い口調で岩井さんにお願いした。
「私からもお願いします」
 お父さんも頭を下げて、お願いする。
「わかりました」
 静かな口調で答えると岩井さんは、カバンの中からシステム手帳を取り出した。
 そして、手帳の付箋の貼ってある場所を開くと顔を私のほうに向けた。
「え〜、警察の方から聞いた話ですが、涼宮選手の乗った車は交差点を右折しようとしたところで、死角になっ
ていた対向車と正面衝突を起したということです。車には、助手席に座っていた涼宮選手を含めて、運転手と後
方にいたコーチの三人が乗っていました。それで、涼宮選手と運転手、そして事故を起した相手側の運転手が病
院に運ばれました。コーチのほうは、幸いにも無傷でしたが、ここの病院で精密検査を受けた後、警察で事情聴
取を受ける予定です」
 私は無言で岩井さんの話を聞いていた。
「涼宮さんですが、事故に遭ったときに、シートベルトをしていましたが、救急車が来たときは、意識がありま
せんでした。目立った外傷はありませんでしたので、内出血の可能性が大きいです。車にはひびが入っていまし
たが、破片が飛び散らなかったことが幸いです。でも、頚椎を……」
 岩井さんが言いかけたところで、照明を消したような音が辺りに響いた。
 音のしたほうを見ると、手術室の照明が消えていた。
 手術が終わったんだ……
 内出血の可能性って、大丈夫なの……茜……
「手術が終わったようですな。この話はまた後ほど致しましょう」
 岩井さんの声がして、振り向くと、彼は関係者の人のところにいた。
 そのとき、大きな音がした。
 手術室のドアが開いていた。
 ドアの奥から、マスクをした手術着姿のお医者さんが現れた。
 お医者さんは、ゆっくりした足取りで私たちの近くまで歩いてきた。
「先生、茜は……茜は……」
 お母さんが、心配した表情でお医者さんに話しかけている。
「内出血がところどころ見受けられましたが、なんとか最悪の状態は免れました。今は麻酔が効いていますが、
意識もしばらくすれば、回復するでしょう」
「そうですか」
 お母さんも私も、周りの人たちも、その言葉に安堵した。
「でも、後遺症が心配です。まだ、しばらくは様子を見る必要があるでしょう」
「こ、後遺症……」
 私は、後遺症という言葉に驚く。
「どういう後遺症があるんですか」
 お母さんが、問いかける。
「まだ、確実とは言えませんが、脳に障害が残る可能性があります。それと頚椎を一部骨折している可能性が
ありますが、この部分はすぐに治るでしょう」
 脳に障害……
 茜が……脳に……障害…… 
 まだ、確実とは言えないのに……私はショックのあまり、涙を流していた。


 あれから、一週間。
 茜は意識を取り戻し、今は普通に入院している。
 茜の行動や態度からは、後遺症らしきものが見受けられなかったとお医者さんは言っていた。
 よかった……後遺症が何も起こらなくて……
 私は、とりあえず一安心した。
 あれから、私は毎日病院にお見舞いに行っていた。
 茜は、来なくていいのにと拒んでいたけど、私が以前事故に遭って意識を取り戻したときに、茜が心配して
毎日お見舞いに来てくれたように、私も茜のことをすごく心配していた。
 そして、今日はパパや子供たちと水月を連れて、茜のお見舞いにやってきていた。
 茜が入院している部屋は個室だったが、かなり広かった。
 私が以前入院していたときと同じくらいの広さはあると思う。
 だから、みんなが部屋に入っても、さほど窮屈さは感じないんじゃないかな。
「姉さん、またお見舞いに来てくれたの? もう、私は大丈夫なんだから、毎日来なくてもいいのに」
 病室に入ると、茜の声が私たちを迎え入れてくれた。
 茜は、顔には、ガーゼのようなものが貼られ、首にはコルセット、頭にはネットで包帯のようなものが覆われて
いた。
 そして、茜の側には、女の人がいた。
 確か、茜のコーチの松田(まつだ)さんって言ってたかな。
 松田さんは、毎日ここには来ないから、一人になるとかなり寂しいと言っていた。
 だから、今日はみんなを連れてこようと、茜に提案して、今日はその日が実現した。
 松田さんは、私たちに気を使ったのか、部屋から出て行った。
「茜、元気そうね。事故に遭ったって聞いたときは、すごく驚いたけど」
 水月が、茜に向かって話しかけている。
「水月先輩! それに、お兄ちゃんに、彼方に悠」
 茜は、みんなの姿を見て、かなり驚いていた。
 あっ、そういえば、茜に今日だって言ってなかった……
「こんにちは、あかねおねーさん」
「こんにちは、お・ば・さ・んのあかねおねーさん」
 子供たちが、茜に挨拶をする。
 ん? 彼方、さっき、茜のことを、おばさんって言ってなかった?
 確かに、彼方から見たら茜はおばさんになるけど、その言い方は失礼だって前にも言ったのに……
「もう、彼方って、お兄ちゃんに似て、本当にマセガキだね」
 茜も、彼方に向かって冗談混じりで言い返していた。
 こんなんだから、彼方が調子に乗って、また言ってしまうのに……
 でも、まぁいいか。
 こんなふうに、茜と会話出来ることは、順調に回復に向かっている証拠だから。
 水月やパパは、茜と楽しそうに会話をしている。
 私は、リンゴの皮を剥きながら、その様子を楽しんでいた。
「帰ってください!」
 突如、部屋の外から小さい怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。
 何? 今の声は?
 私は気になって、部屋の外へと歩き出していた。
 私は外からは気づかれないように、そっとドアを開けた。
 そこには、さっきまで茜と一緒にいた松田さんと、男の人が言い争いをしていた。
「いや、ですので、本当に申し訳なく思ってるわけで」
「思ってるですって! そうやって謝ればなんでも済むって思ってるんですか!」
「いや、だから私も涼宮選手に誠意を持ってお詫びしたいと、こうして参りに来ました。ですので、会わせ
てください」
「あなたに、涼宮を会わせるわけにはいきません! 帰ってください!」
 この後、しばらく沈黙が続いた。
 男の人は下のほうを向いていた。
「わかりました。今日のところは、これで帰らせて頂きます」
「もう、二度と来ないでください!」
 私は意を決して、廊下に出た。
「待ってください」
 私は、男の人に向かって声をかけていた。
 確かに、あの人は事故を起こした関係者だっていうのはわかる。
 茜に会わせるのは、いけないことなのもわかる。
 でも……だからって……それで追い返すのは……どうかって思う。
「す、涼宮さん……」
 松田さんがようやく私に気づいて、声をかけていた。
 男の人は、しばらくその場で立ち止まっていた。

「私は、北沢義明(きたざわよしあき)と申します。涼宮選手の乗ってた車と衝突した運転手の息子です。父は現在入院中ですので、
代理で私が来ました。この度は父の運転の影響で、ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
 北沢さんは、茜に向かって土下座して謝っていた。
 水月たちもいる中で、土下座するなんて……本当に誠意ある人なんだと思う。
 松田さんは、腕を組んで、険しい表情で北沢さんの様子を見ていた。
 あの後、私が必死にお願いしたことで、松田さんは、北沢さんを中に入れることを認めてくれた。
「あ、あの……そ、そんな……私はこの通り大丈夫ですので、土下座なんてしないでください」
 いきなり土下座したのに驚いて、茜はどう声をかければいいのかわからないようだった。
 北沢さんは、まだ土下座したままだった。
「私は怪我が治れば、また泳げるようになるので、そんなに怒ってないですよ。だから、やめてください」
 茜の言葉に、北沢さんもやっと顔を上げた。
「これは、ささやかながら、お詫びの品です。どうかお受け取りください。それから、慰謝料をはじめ、入院費
は全額お支払いしますので」
 北沢さんは、高価そうな包み紙の菓子折りを手渡した。
 松田さんは、腕を組んだままで受け取ろうとはしなかった。
 だから、私が受け取ったけど……いくら事故を起こした関係者とはいえ、本当に気を遣わせてしまって、私は
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「それでは、これで失礼します。後日にまた来ますので」
 そう言うと、北沢さんは帰っていった。
 もう来ないでください、とてっきり言うものかと私は思っていたのに、松田さんは腕を組んだままで何も言お
うとはしなかった。
 北沢さんが来ることを認めてくれたのかな、松田さん。
 それとも、茜の前だから、言ってないだけなのかな。
 私は複雑な心境で、茜との時間を過ごしていた。


 翌日、私はいつものように一人で病院に来ていた。
 昨日はあんなことがあったから、ちょっと行きにくい。
 そして、茜の病室まで来たが、私は足を止めた。
 部屋のほうから、泣き声のようなものが聞こえてきた。
 茜……もしかして、泣いてるの?
 私はいけないと思いながらも、茜に気づかれないように聞き耳を立てた。
「松田さん……本当に……また泳げるように……なるの?」
「何言ってるの? 後遺症もなかったし、また泳げるようになるってお医者さんも言ってるのよ。だから、その
ためにも、まずはちゃんと怪我を治さないと……」
「……足の感覚がないのがわかるの……足の指を動かそうとしても……動かないの……どうして……」
 私は思わず息をのんだ。
 足の感覚がない……足の指が動かないってどういうことなの……
「え?」
「どうして動かないの? 競泳で足の動きが必要なことくらい、松田さんは知ってるでしょ! それなのに、ど
うして……」
 しばらく、茜の嗚咽のような声が聞こえてきた。
 でも、だんだんと弱い声に変わり、ついには聞こえなくなっていた。
 私は、茜の涙混じりの声を聞いているだけで胸が痛んだ。
「茜……本当のことを知りたい?」
「……ど、どういうことですか?」
「本当は言うかどうか迷ったけど……あなたに話さないといけないみたいね……落ち着いて聞いて」
「松田さん……」
 私の鼓動が激しくなっているのがわかる。
「実は、事故のときに、頚椎が一部骨折しているのが確実にわかったの」
「頚椎……」
「頚椎は首の骨のところにある、運動神経が通っている重要な場所。そこが破損すると下半身不随になって車椅
子の生活を余儀なくされる場合もあるの」
 茜が動揺している声が、私にも聞こえてくる。
 私も最悪の結果を言うような気がしてこれ以上、聞きたくなかった。
 でも、現実を受け止めないといけない。
 そこから、逃げていては、何も始まらない……
 そう、自分に言い聞かせて、恐る恐る耳を澄ました。
「それで、それで、私はどうなったんですか? まさか……まさか……そんなわけ……ないですよね……」
「もちろん、そんなことはないわよ。また歩けるようになるのは間違いないけど……それがいつになるかはわか
らない……場合によっては、最悪の結果になることも考えられるから……それだけは……覚悟しといて……」
「そんな……」
 茜の声から絶望の感情が伝わってくる。
 私もショックを隠せずにいた。
 茜がまさか……そんなことになっているなんて。
「でも、今はね、怪我を治すことのほうが重要よ。それからでも、遅くはないから」
 茜の声は何も聞こえなかった。
 恐らく、放心しているんだろうと思うけど……
 私は何もできずに立ち尽くすことしか出来なくて、悔しかった。
 茜の姉として、何かしてあげたかった。
 恐らく、今部屋に入っても、茜に何もしてあげられない。
 なんて、言ってなぐさめたらいいのかな
 なんて、言えば、茜の傷を癒してあげられるのかな。
 結局、私は茜の病室に入れないまま、悔しさを胸に抱いて、家路に着いた。


 あれから、三日。
 私は次回作の絵本の構想を考えていた。
 病院には、あれから行っていない。
 今の茜の心境を考えると、行かないほうがいいと思っていたから。
 茜に何もしてあげられない、憤りのない悔しさを絵本にぶつけることで、解消している日々。
 パパも、彼方も悠も、毎日病院に行かなくなったことで心配していた。
 茜ちゃんと喧嘩したの?とかパパは聞いていたけど。
 誰にも心配かけたくないから、私は茜の現状を話していない。
 これから、どうしたらいいんだろうと一人で悩みを抱えていた。
「ママー、でんわ」
 後ろから、彼方の声が聞こえた。
 電話……誰からだろう……
 彼方から、子機を受け取って、電話に出た。
「もしもし……」
「もしもし、姉さん……」
 茜……
「どうしたの? いつもなら毎日来ていたのに、三日も来ないなんて、何があったの?」
「茜……」
 私は何も言えずにいた。
「もしかして、松田さんとの話聞いてたの?」
 え?
 もしかして、茜、あのとき私がいたことを知ってたの?
「聞いてたんだよね。それだったら、急に来なくなった理由がわかるよ」
「茜……」
 否定しようとした……だけど、それが出来なかった。
「だったら、安心して。私、今日から歩行訓練のリハビリ始めたから」
 え? リハビリ始めた? どうして?
「どうしてって、思ってるでしょう。私ね、もうみんなに迷惑かけたくなかったの。私の復帰を待ってる人のた
めにも、松田さんのためにも、姉さんのためにも、水月先輩や、お兄ちゃんや、その他大勢の人たちのためにも
頑張ろうって決めたんだー」
「茜……」
「だから、姉さんが落ち着いたら、またお見舞いに来て。今度は彼方や悠も連れてきてほしいな」
 すっかり、自信を取り戻していた茜の声を聞いて、私は安心した。
「うん、わかった。私はもう落ち着いたから、明日にでも必ずお見舞いに行くから」
「うん、待ってるから」
 よかった……茜が元に戻ってくれて……
 歩行訓練のリハビリの辛さは私も知っている。
 そのときに、茜がついていてくれて、励ましてくれていた。
 だったら、今度は私が茜を励まさないと……
 それが、茜の姉としてできることだと思っていた。


 翌日。
 私は彼方と悠を連れて、三日ぶりに病院に向かった。 
 三日もたつと、だいぶ様子が違うのが実感できる。
 この前は、少しいたマスコミも今日は一人もいない。
 病院の正面玄関から車を降りた私たちは、受付で茜のお見舞いに来たことを告げた。
 茜は、現在歩行訓練のリハビリを行っているらしい。
 私たちは、その施設へと歩いていった。
 そこでは、手すりに両手をつけながら、必死に歩こうとしている茜の姿が目に入った。
 よかった、この前のような暗い感じが出ていないことが、表情を見てもわかる。
 私は、担当の先生の許可を得て、中に入った。
 茜は、私たちが来たことに気づかずに必死で歩いている。
 そばでは、松田さんと病院の先生が茜の様子を見守っている。
 そして、近くには茜が使うと思われる車椅子が置いてあった。
 私もこんな感じで、歩いていたのかな。
「茜」
 私は、茜に声をかけた。
「姉さん、それに、彼方に悠」
 茜のほうも私たちに気づいたみたい。
 でも、すぐに視線を元の位置に戻し、険しい表情で少しずつ歩こうとしていた。
「おばさん、何してんの?」
「何してるの?」
 彼方と悠の声がふと聞こえ始めた。
「こら、彼方! またおばさんって」
 私は慌てて、彼方を叱った。
「子供は無邪気でいいわね。あのね、このお姉ちゃんは、事故で足を怪我して歩けなくなってしまったの。でも
ね、このように歩く練習をすれば、また歩けるようになるの。今はその練習中って言ったところでわかるかな」
 松田さんが笑顔で子供たちに向かって説明をしていた。
 でも、松田さんの説明が理解出来ていないのか、二人は首を傾げている。  
「やっぱり、説明しても難しすぎてわからないかな」
 悪戯っぽく松田さんは子供たちに向けて微笑む。
 茜は、そんなやり取りなど頭に入っていないらしく、ただひたすら歩くことに集中している。
「あっ!」
 茜がバランスを崩して、前のめりに倒れた。
「痛っ〜い!」
「大丈夫、茜」
 慌てて、松田さんが茜にかけよる。
「(涼宮さん、立ちなさい! そんなところで座り込んだら日が暮れてしまうわよ!)」
 茜の様子を見ていると、私の頭の中にあるシーンが思い起こされる。
「(何甘えてるの! 泣けばいいってもんじゃないでしょ! そんなことで今日の分が終わるとでも思ってるの?
ほら、立ちなさい!)」
 私がリハビリをしたときに言われた言葉がよみがえってきた。
 あのときは、厳しい言葉を言われたことで、私はやる気を取り戻していた。
 茜がその気なら、きっとまた立ち上がってくれると思う。
 そんな、茜を私は励ましてあげたかった。
「先生! 彼女はもう限界です。今日はこれで終わりにしてください」
 え?
 松田さん、今なんて言ったの?
「わかりました。今日はこれで終わりにしましょう」
 先生まで何を言ってるの?
 茜のやる気を失わせるつもりなの?
「さぁ、茜。病室に戻るわよ」
「は、はい」
 茜……
 復帰を待つ人のために、私たちのために頑張るって言ってたじゃない!
 あの言葉は嘘だったの?
 私の中に、やりようのない怒りがこみあげてきた。
「がんばれ! がんばれ!」
 悠?
 ふと、振り返ると、歩行台の終わりのところで、悠が手を叩きながら、茜に向かって呼びかけていた。
 すると、彼方も悠のところまで走っていって、同調するように悠と同じ動作をしていた。
 悠……彼方……
「きみのあしはなおったんだよ。だから、もーあるけるはずなんだよ」
 え?
 悠が言ってるのって、私の書いた絵本のセリフじゃ……
「こんなにあつまってはげましているのは、はやくげんきになってほしーからなんだよ。だから、がんばってあ
るいて!」
「そうだよ、がんばってあるいて! おばさんからおねーさんになってよ!」
 彼方も茜に向かって叫んでいる。
 悠……彼方……
 
 茜と松田さんは、呆然とした表情で子供たちを見ていた。
「ママもおーえんしてあげてよ! おねーさんが、ゆーきをだせるように!」
 悠……
 そうだ、忘れてた。
 ここに来たのは、茜を励ますためだった。
 それなのに、何もしてあげていないなんて……
「茜、頑張って! みんなに迷惑をかけたくないんでしょ! みんなのために頑張るって言ったでしょ! だっ
たら、歩いて!」
 私は、自分の想いを茜にぶつけていた。
「姉さん……」
 茜は、呆然とした表情で私のほうを見ていた。
「松田さん、私の気が済むまでやらせてください」
 そして、茜は向き直ると、また続きから歩き出した。
 茜……
 茜が歩き出そうとしている……
 また、やる気を出してくれている……
 私、茜の力になれたんだ……
 茜を励ませてあげられたんだ……
 松田さんは茜の言葉に驚いていたけど今は何も言わずに、茜の様子を見守っている。
「あと、少し、あと、少し」
「もう少し、もう少し」
 子供たちは、手を叩いて、歩行代の終わりのほうで茜を励ましている。
 それに、答えるように茜は少しずつだが歩き始める。
 そして、茜はついに終わりのほうまで歩くことができた。
「おねーさん、やったよ。ゆーきをだしてゴールできたんだよ!」
「おばさん、いや、おねーさんか、おめでとう」
 悠も彼方も茜が、終わりのほうまで歩いていけたことを喜んでいた。
「ありがとう……ありがとう……彼方、悠、そして、姉さん……」
 茜は涙を流して、その場に崩れ落ちていた。
「もう一回!」
 落ち着くと茜は、今度は逆方向に向けて歩き始めた。
 彼方と悠は、今度は反対方向に回って、茜を励ましていた。
 私も、その場で茜に向けて声をかけて、励ましていた。


「涼宮、早い! この前、退院したばかりなのに、そんなところは少しも感じられません。あと少しだ! 涼宮!
ゴール! 涼宮、事故から復帰してからの大会は、新記録でスタートしました!」
 あれから、半年。
 茜の足は日常生活に支障が出ないくらいにまで、回復した。
 それからは、遅れを取り戻すために必死だったみたい。
 今日の大会は、北京オリンピックの予選大会。
 自信はないって言ってたのに、大会新記録。
 茜……よかった……
 あ、茜のところに、テレビ局のカメラが来ている。
 インタビューが始まるのかな。
「え〜、涼宮選手、予選突破おめでとうございます。」
「ありがとうございます。イェイ!」
 茜は会場に来ている人たちに向かってダブルピースをしてみせた。
 そして、会場から歓声が沸きあがった。
「事故から復帰して、相当大変だったと思いますが、今の心境はどうですか」
「はい、足がマヒしたときは、どうなることかと思いましたが、姉やその子供たち、それとコーチが励ましてく
れたので、そのことは、本当に感謝しています」
「そういえば、今日は涼宮選手のお誕生日でしたね」
「はい、とても嬉しい、誕生日プレゼントになりました」
 茜……
 これから、茜はオリンピックに向かって頑張っていく。
 それは、リハビリより辛い練習かもしれない。
 だけど、私はその夢を応援してあげたい。
 これからも茜を励ましてあげたい……
 そう、胸に誓った。
 それから、茜……お誕生日おめでとう……

―「苦難からの復活」 終―

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あとがき

 やっと、書き終わりました。
 シュウさんのサイトのほうに寄贈するために、書いてみました。
 そのために、シュウさんのSS「あなたとともに……」と同じ設定にしてみましたが、どうだったでしょうか。
 このストーリーは「W〜ウィッシュ〜」をプレイして思いつきました。
 主人公の潤和が、事故に遭って、リハビリを受けていたけど、辛くてあきらめようと思った。
 だけど、双子の妹の泉奈が励ましてくれたおかげで、続けることができた。
 これを見たとき、このストーリーが思い浮かびました。

 どちらかというと、潤和と泉奈のように遙と茜の姉妹愛をテーマにしてみました。
 そのため、孝之も水月も完全に脇役で、慎二に至っては登場していないですし。
 それも、ありかなと思っています。

 ストーリーについてですが、孝之と彼方がババ抜きをして悠がやって来る部分は書いていて、すごい恥ずかしかったです(笑)
 この部分だけ推敲をするのをやめようかなと思ったりもしました(笑)
 それと、シュウさんのSSでは、確か、彼方が悪ガキという設定なので、そうしてみましたが、どうだったでしょうか。
 あと、遙は孝之のことをパパと呼んで、孝之は遙のことをママと呼んでいるので、違和感があったかもしれませんが。
 「あなたとともに……」のほうは、詳しくは、シュウさんのサイトにありますので、読んでみてください。
 それと、遙の両親は先に病院に着いています。
 本編でも、茜に孝之が病院に来ない本当の理由を言っていなかったので、
多分、こういう対応をすると思います。
 遙のお父さん、直してください。その悪い癖を。
 
 このストーリーの感想がありましたら、掲示板のほうに書いていただけると嬉しい限りです。


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